清張通史3は『カミと青銅の迷路』と題します。カミは「神」、青銅は「青銅器」を指します。通史1・2と同様に10章立てでありますが、第5章までは「神」、6章以下は「青銅器」を扱っています。記紀に述べられた神話、古墳と同様に埋納された青銅器のことに基礎的な知見がないと、本巻は面白くない、というのが、私の率直な見解です。
たとえばアマテラスが弟スサノオの乱暴にこもったという石屋戸(いわやど)は横穴式墳墓であるとか、神話によく現れるホト(女陰)を突いて死ぬ話は、女性のもつ生殖霊力の喪失を意味し、横穴式墳墓が入口からの羨道と奥の玄室から成り、ちょうど女性性器の膣腔と子宮を思い起こさせる、とかがそうであります。この横穴式墳墓が中国の神仙思想に由来するといい、っ中国の古典を引いて説明します。
松本氏の独壇上の推論が展開するのは第3章の「東と西」であります。記紀神話のイザナギ・イザナミ以下の夫婦カミ、アマテラス・スサノオの姉弟カミなどの根本的な構成は、すべて中国書籍や説話からの翻案であると断言されます。その中国書籍にみえる天地開闢説話は、メソポタミアの古代バビロニアに類話が見られると言われます。古代東西交通のルートに乗って、バビロニアの楔形文字に記録されたシュメール時代の神話が東方へ輸出されたことは、十分に推測されるのです。その一つがメソポタミアの境界をこえてパレスチナに入り、旧約聖書のもとになっているとあります。そうして旧約聖書と日本の古代習俗の類似点を求めるなど、まさしく世界史レベルの知見を披露されています。
第5章「古代の日本へ」において、ペルシャの神ミトラを信仰する密儀宗教のミトラ信仰は、インド・アーリア系民族に信奉され、各地域のローカル色に彩られて、主神や脇侍(きょうじ)になったりすると言われます。その中で、「アミダ(阿弥陀)信仰はインドにはない。この仏は光背が日輪を表現しているように、ミトラ信仰またはゾロアスター教の光明を象徴している。伝来不詳のその漢訳仏典「無量寿経」とともに、唐の初めに中央アジアでつくられたものであろう」と推測されるのは、私ども浄土宗の仏僧はどひゃりとします。もっとも松本氏は、メソポタミアの土着信仰と思われるミトラ信仰がイランでゾロアスター教となり、これが中央アジアを経て南北朝の中国に仏教やマニ教・景教(キリスト教ネストリウス派)とともに入り、祆教(けんきょう)になった、という独自の説をとっておられ、日本には8世紀ごろに密教にまじって祆教(ゾロアスター教)の要素が入ってきたと推測されています。
弥生時代から古墳時代に移行する前に、青銅器の武器と鐘が現れます。武器は銅剣・銅矛・銅戈で、鐘は銅鐸であります。それぞれの出土地から北部九州を中心とする銅剣・銅矛・銅戈文化圏、近畿を中心とする銅鐸文化圏に分かれることは、歴史の教化書に載っているほどの基礎的な知識であります。松本氏は、それぞれの青銅器の出土状況を子細に考察して、それらの青銅器が宗教的な祭祀用ではなく、豪族のコレクションであって、そして古墳時代に「時代おくれの廃品」となり、地下に埋もれたままになった、といわれrます。
松本氏の考古学に対する知見は、すべてが万巻の書物から得られた「独学」であったと思われます。市井の一作家の枠をはるかに超え、自由に私見を述べるところが余人のなせるところでないことを特に指摘しておこうと思います。