ある表現がその人の人権を蹂躙するというので、別の言い方に改めることがあります。たとえば痴呆症がそうです。最近は認知症と言い換えています。それと同じ表現が「発達障害」という言葉です。幼児期ないし児童のときに、「脳機能の発達が関係する障害」だと規定されています(政府広報オンライン)。教育の現場で見られる「問題児」の多くが「発達障害」なる言葉で片付けられているようです。
政府広報オンラインによれば、障害の特性として、(1)自閉症とアスペルガー症候群からなる広範性発達障害、(2)注意欠陥多動性障害(AD/HD),(3)学習障害(LD)の3つがあります。(1)の自閉症は言葉の発達の遅れ、コミュニケ-ションの障害、対人関係・社会性の障害、パターン化した行動、こだわり、アスペルガー症候群は基本的に、言葉の発達の遅れはない、コミュニケーションの障害、対人関係・社会性の障害、パターン化した行動、興味・関心のかたより、不器用(言語発達に比べて)、(2)の注意欠陥多動性障害(AD/HD)は不注意(集中できない)、多動・多弁(じっとしていられない)、衝動的に行動する(考えるよりも先に動く)、(3)の学習障害は「読む}「書く」「計算する」等の能力が全体的な知的発達に比べて極端に苦手、などを特徴とします。このほか(4)トゥレット症候群(重症なチック障害)、(5)吃音(どもり)も障害に含む場合があります。
私が幼児期(今から70年ほど前)や子供を育てていたころ(今から40年ほど前)には「発達障害」なる概念はなかったのですが、該当する子供はいたと思います。教育心理学が発展したせいでしょう。私の知人の子供はすでに4,50歳の成人になっていますが、(2)の自閉症ないしアスペルガー症候群にあたるようです。その子の青年時代までは、コミュニケーションは不得意でしたが、次第に努めて人の会話にも加わり、人目にはややコミュニケーション能力が劣るかなあと感じる程度です。おとなしい性格が幸いしてか、対人関係・社会性の障害はまったく見られません。ただパターン化した行動、興味・関心のかたより、不器用(言語発達に比べて)はあります。しかし、この子のことをマイナス評価の「発達障害」と呼ぶのは酷なことで、むしろプラス評価が可能です。ひと一倍の優しさ、思いやりといった点ではすぐれています。パターン化した行動の側面では、言いつけたことや難しい工程を忠実に順守することが出来る、という評価基準があてはめられます。
こういうふうに評価基準はマイナスよりもプラスにかえるべきです。むしろある種の特異な能力さえもっている場合があります。日月・曜日の記憶、一度会ったことのある人の名前と続き柄、無機質な数字の羅列の電話番号、といった通常の人ならすぐに忘却のかなたに葬り去ってしまうことさえ、不思議と記憶しております。算数はできなかったようですが、漢字はかなり難しい字を読み書きできました。こうした能力のもち主を、「発達障害」の特徴というのなら、それは一方的な見方でしょう。こうした特別な能力をもつ子を全面的にプラス評価すべきでしょう。教育の現場や臨床心理学で研究すべき課題だと思います。
人間の能力は実に多面的であり、一方的に評価が下せません。むしろ多面の一部しか評価しないとなれば、間違ったことになるでしょう。「発達障害」という見方こそ、その人間の一部しか見ずに、全体的に決めつけをしていることになると思います。発達の「障害」とみるか、「特異な能力」とみるか、私たち大人の判断にかかってくるでしょう。