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  • 私は日本古代の仏教史や浄土宗史を専門とする学徒だから、いわゆる専門書をよく読みます。したがって、読書感想文を書くとしても、歴史の分野に限ります。ところが、私もたまには広告などを見て、手に取ることがあります。馬齢を重ねて、今年で77歳の私には、とても気になる本でしたので、早速取り寄せて一読いたしました。




    和田氏は著名な精神科医、よくこなれた文章で書かれており、示唆に富む内容であります。まず序章「人生百年と言うけれど」において、むのたけじ氏の言葉を借りて、「高齢者という言い方は、侮辱である。青少年は低齢者か」と政府を罵っていることを引用して、本書では「高年者」と表現します。高年者も高齢も同じ意味ではないかといういう意見に対して、近年の日本では、「高齢者という言葉には差別的な匂いが仄かに漂う」と言われています。この和田氏の見解に同意できそうであります。そして、60代と70代の特徴を挙げて、「60代では定年がメンタル面での大きな危機要因であったのに対して、70代では「死」が現実感をもって感受されるようになります」と、読者をしてどっきりさせます。「なお、何事にも例外はあり、同じ年代でも個人差はもちろんある」ことを指摘した上で、「本書はあくまでマジョリティ、多数を占める人々を対象にした一般論を述べていることを念頭に置いて読み進めてください」と、釘を刺しておられます。

    第2章「老化と病気」、第3章「心の整え方」、第4章「体の整え方」は、本書の著者が高年を専門とする精神科の医者であることを考えると、当然のことながら、読者から最も期待される箇所であります。このうち私が興味を惹かれた点を述べますと、「人は「心」から老化する」という節では、心の活躍を司るのは大脳であるとして、とりわけ最初に老化するのは前頭葉であると断言されます。記憶力が衰えたからといって、海馬が最初に萎縮するわけではなく、前頭葉の方が早く萎縮することを見つけられています。

    「高年になって多発する病気」という節では、仏教の「生老病死」という基本概念を引き、「老」と「病」と「死」は不即不離の関係にあると言われます。この見方は医者らしい解釈です。私は余り知らなかっのですが、「ピンピンコロリとネンネンコロリ」という節において、死ぬ直前まで元気でいて死ぬときは一瞬にといった願望ですが、ピンピンコロリの対語は、寝たきりが続いて死ぬことを意味する「ネンネンコロリ」だそうです。このネンネンコロリが寝たきりを指すのは、子守歌の「ねんねんおころり、おころりよ」からきていると思われます。ともあれ、言葉あそびの典型とでもいうべきでしょう。

    第3章「心の整え方」と第4章「体の整え方」は、和田氏の独壇上であり、鎌田實さんの考案された鎌田式簡単ストレッチを紹介されています。今の私などはつま先の上げ下げしかできませんが、続けて行こうと思っています。このほかに「酒と煙草という名の悪女」という節では、古来の哲学者の名言を引いて、適度の量の飲酒を勧めておられます。

    第5章「暮らしの中の知恵」では、なかなか面白い観点から読者をして、どひゃっとさせることを述べておられます。いくつかの節を紹介しましょう。「精神医療の目的は、一人ひとりの患者さんがいかに充実感を感じる毎日」を送ることができるか、その手助けをすることにつきる」と言われます。「お金は墓場までもっては行けない」「好色のすすめ」「モノに執着しない」「常にイキでカッコよく」「クスリと書いてリスクと読む」「健康診断は受けない」などの節は示唆に富んでいます。

    以上の事柄は私の読書感を述べすぎませんが、ある種の爽快感さえ覚えます。もし将来において、入院などをしなければならない時には、本書をもって行こうかとも思います。ベッドサイドに置いて何度も読みふけることでしょう。なお出版社はパジリコ株式会社です。