これまでは人生最後の著述になると思われる本(『鎌倉浄土教の先駆者 法然』)にとりかかっておりましたので、ブログも更新できずに一か月がたちました。この間、わたくしが所属している「浄土宗」では宗議会議員の改選がありました。「浄土宗」では国の機関をまねて、行政・立法・司法の三権分立の形をとっています。その立法府の4年任期の議員改選が行なわれて、このほど行政府の長たる「宗務総長」の改選が新議員によって行われました。
ここまでは「浄土宗」も現代的な手続きを取る団体であることがわかります。ところが内実はとても「現代的」とはいえないのです。まず第一に宗務総長候補者は議員15名の推薦を要します。議員定数70名ですので、4名以上の候補者を立てることができないのです。宗務総長候補者の推薦議員の数を10名以下に抑える必要がると思われます。 つぎに前の総長は2期8年をつとめましたが、3期以上つとめた人はいないという「前例」にしたがって、続投を「やめさせらた」ようです。ご本人に聞いていないので分かりませんが、前例主義にしたがって続投できないのは「現代的」ではありません。もっとも前宗務総長は「やり手」なので、8年の任期でもうんざりした人はいるでしょう。新宗務総長は人柄よろしく、対立候補に圧倒的な差をつけて当選しました。前宗務総長の内局(国でいう「内閣」に当たります)の一員でありましたから、行政的には前任者の路線を踏襲するものと予測されますが、新鮮味を期待したく思います。願わくは前宗務総長の「院政」がおこなわれないことを祈っております。
新聞報道などで、「浄土宗(総本山知恩院)ではこのほど」云々という書き出しで始まる記事にお目にかかったかと存じます。読者の方はなんらの違和感をもたれないでしょうが、われら寺院にすむ者にとって、異質のものをつなぎわせた感がします。知恩院という宗教団体と浄土宗という宗教団体とは、別個の存在なのです。われら浄土宗に属する寺院は「浄土宗」との間で、「浄土宗」を包括団体、浄土宗寺院を被包括団体とする、包括・被包括の関係を結んでおります。しかし、支配・被支配の関係にはありません。知恩院もまた被包括団体の一つなのです。ただ一般の浄土宗寺院とは異なって、総本山という特別の地位と役割を与えられていることです。そして浄土宗のトップの僧を「浄土門主」といい、知恩院のトップの僧を「知恩院門跡」といい、一人が兼ねることです。知恩院もまた行政と立法の機関をもち、行政の責任者を執事長といいます。知恩院の執事長は、浄土宗の宗務総長とは別人であります。
ところで、われら浄土宗寺院には毎年、課金(国でいう税金)が課せられます。その送付先は包括団体たる浄土宗であって、総本山たる知恩院ではありません。しかしながら、毎年浄土宗に納める課金は檀家総代などが檀家から集めた浄財でありますが、住職はこの課金を知恩院に納めているものと説明をしないと、檀家はまったく理解のしようがありません。それは浄土宗という包括団体を的確に説明できないからだと思います。私などは浄土宗という団体は「同業者による組合ないし協会みたいな存在」だと説明します。するとなぜ総本山のほかに、一般の浄土宗寺院を包括する団体がなぜ必要なのか、と問い返されます。そこで話は窮します。私が思うに、包括関係は支配関係ではありません。「浄土宗」という緩やかな纏まりにすぎません。この際、新しく議員になられた方、宗務総長に選ばれた方、ここのところをよく心していただきたいものです。