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  • IMG_0225古書店から送られてくる目録で古典籍を購入することがあります。これまでに目録に記された署名だけで買い求めたところ、当方が思っていたものとは全く違う古書が郵送されてきたという苦い失敗も経験しています。

    それは古書目録に「海東釋史」とありました。私は若いころ朝鮮仏教史に関心をもって、関係図書を収集していたのです。「海東」とは朝鮮を指し、「釋史」とは仏教史を意味するので、朝鮮仏教史に関する古書だと私なりに解釈して、早速買うことにしました。贈られてきた書物は「海東繹史」という、古朝鮮から高麗朝にいたる時代を扱ったあらゆる文献を網羅した紀伝体(中国式の歴史の書き方)の「歴史書」でありました。間違いは古書目録の「釋」が「繹」の誤植だったことにあったのです。古書の通信販売は実物を見ることができないので、こうした過ちは購入者自身が被らねばなりません。

    ところで、私蔵する軸装仕立ての「一枚起請文」も、古書店から或る時に買ったものであります。浄土宗の人なら誰でも知っていることですが、法然上人がご遷化の二日前に弟子の源智にさずけられた、紙一枚程度に述べた念仏の教えのエッセンスであります。印刷された経本に入っているので、わざわざ古本屋から買う必要などないのですが、かつては現行の「一枚起請文」の文言と異なるったものが存在していましたので、古書目録では時代を特定できなかったのですが、古そうだと思わる軸装仕立てに気をひかれで買いました。文面は以下の通りです(カッコの中は読み方)。

    唐(もろこし)我朝にもろおろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又斈文(学問)をして念の心を悟りて申(もうす)念仏にもあらず。唯(ただ)往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申て疑なく往生するぞとおもひとりて申外(ほか)に別の子細候はず。但し三心四修と申すことの候は、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞとおもふ内に籠り候なり。此(この)外に奥深き事を存ぜば、二尊の憐(あわれみ)にはづれ本願にもれ候べし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく斈すとも、一文不智の愚鈍の身になして、智者の振舞をせずして、尼入道の無智の輩(ともがら)に同(おなじく)して、只(ただ)一向に念仏すべし。 浄土宗の安心(あんじん)起行(きぎょう)此一紙に為至極(しごくせり)。為防滅後邪義(めつごのじゃぎをふせんために)所存記畢(しょぞんをしるしおわんぬ)。 建暦二年正月二十三日 源空

    筆者は良綱という僧ですが、他の文献には登場しません。ここに紹介する私蔵の一枚起請文を読まれたなら、通常にそらんじているものとの違いに、すぐにお気づきになったと思います。後半に違いがあるのです。 かつては現行の「一枚起請文」の文言と異なるったものが存在していたと言いましたが、それは「ただ一向に念仏すべし」で文章が終わるものと、現行の一枚起請文のように「為証以両手印(証の為に両手印を以てす)」以下の文言が続くものとの二つのタイプがあるのです。私見によりますと、前者の「ただ一向に念仏すべし」で終わるものが古形であって、「為証以両手印」から「建暦二年正月二十三日 源空(大師在御判)」までの文章が加わった現行のものが、おそらく天文年間(1532~55)あたりから世に出て、次第に普及したと考えられます。

    それでは、私蔵の一味起請文について、新古の分類からいうと、「新」に属しますが、現行のものとは異なります。まず第一の相違点は、現行の「念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智の輩に同して、智者の振舞をせずして、ただ一向に念仏すべし」の箇所で、私蔵版は「尼入道の無智の輩に同して」と「智者の振舞をせずして」の順序が入れ替わっているのです。つぎに、現行の「為証以両手印」と「源空が所存此外に全く別義を存ぜず」の語が私蔵版にないことです。 この私蔵版のごとき現行と異なる文言の一枚起請文は、他に例を見ないのです。

    そこで私蔵版は、一枚起請文の研究上で貴重な史料となりえるのでしょうか。答えは何とも言えないのです。「為証以両手印」がない写本は外にもありますが、「尼入道の無智の輩に同して」と「智者の振舞をせずして」の順序の入れ替わりや、「源空が所存此外に全く別義を存ぜず」の脱落は、私蔵版の特色というよりは、どうも筆者の良綱が犯したミスと考えざるを得ないのです。

    私蔵の一枚起請文は、まあ学界に紹介する値打ちがあるとは思えない代物だった??やはり古典籍は実物を見てから購入すべきでしょうね。間違いだらけ(!)のものを、ご丁寧に麗々しく表装したのは誰だったのか、興味を引きます。