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  • 江戸時代の文献『日次記事』(ひなみきじ)は面白い記事にあふれています。正月二日条に、この日の夜、洛東の愛宕寺(念仏寺)では、門前の住人が寺の客殿に集まり、南北二列に座して宴飲し、上座のものから倍木(へぎ)を持って立ち舞う。これを「天狗の酒盛り」と称しますが、天狗とは、もとは「転供」(供物を手から手へと送って仏前に供えること)がなまったものです。宴が終わると、本堂に昇って、牛王杖(ごおうづえ)で大いに門扉や床壁をたたき、また法螺(ほら)を吹き太鼓を打ち、その間に寺僧が牛王札を貼った。これには「悪魔をはらういわれがあると言います。




    ここで若干の説明をしておきましょう。まず舞台となる愛宕寺のことです。愛宕(おたぎ)寺は念仏寺とも称し、もとは東山区の六波羅蜜寺の向かいにあって、大正11年(1922)に現在地の右京区の化野(あだしの)に移転しました。毎年8月23日の夜、多くの無縁仏の石像にろうそくを立てて供養することで有名ですが、江戸時代は「天狗の酒盛り」の方が知られていたようです。




    次に牛王杖とは、牛王宝印のお札を棒の先に挟んで境界に立てて除災・降魔の呪具に使われますが、この牛王杖をもって大いに門扉・床壁などをたたく行為に興味を惹かれます。『日次記事』は密教系の寺社にて牛王加持のことを記しており(元日条、七日条、八日条、十五日条など)、年中行事として行なわれておりました。




    それではなぜ牛王杖をもって門扉や床壁をたたいたのでしょうか。音を立てることで悪魔や邪霊を驚かせて退散せしめたとも思えますが、それなら法螺を吹き、太鼓を打ち、爆竹を鳴らせばよいでしょう。石清水八幡宮でも疫病よけの「蘇民将来の木符」を売っており、「参詣人携え帰り、小児の衣類を撃(たた)く」とあります(十八日条)。木符で衣類をたたくこと、牛王杖で門扉・床壁をたたくこと、この両者は民俗として共通性が考えられます。つまり、呪具でタタクそしてハラウ、という行為に民俗としての原義があったのです。




    悪鬼・邪霊(災いをもたらす主体)や疫気(疫病の原体)は空中に充満し、やがて建物や衣類に付着するーー可視的にはホコリ・チリのようなもの、それを年頭にたたき・はらうのであります。神祇信仰の〈祓(はら)い〉という古代人の素朴な思想が生きていたのです。




    ところで、今日世間さわがせている新型コロナウイルスを、古代から江戸まで連綿と続く民俗信仰で理解すると、牛王杖でタタクとなるでしょうか。