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  • 律令制の税制といえば、みなさんもご承知の通り、租・庸・調・雑徭であります。これを稲の系列、物産の系列、力役の系列の三つに大別することができます。問題は力役の系列に属すべき「歳役」と称するもので、元来は年に10日間、都に出てきて労役に従うことですが、労役に服さないものは庸(布などの生産物)を納めることとされていました。実際は庸で納めさせましたので、庸は調と同じく物産の系列に属するものと理解されます。

    租は稲の生産比率でいうと3%程度の極めて低く、調と庸、すなわち物産の系列と、年間最長60日に及ぶ雑徭、とが過酷な税制であったようです。調・庸・雑徭は「課役」と称して、成年男子にしか課せられなかったのです。

    いまここで律令制の税制を詳しく論ずるつもりはありません。古代の税制は、成年男子を基礎にした、という側面を知ってほしかったのです。成年男子とは、17歳から20歳までを「中男」(ちゅうなん)、21歳から60歳までを「正丁」(せいてい)、61歳から65歳までを老丁(ろうてい)といって、課税対象年齢でありました。66歳以上を耆丁(きてい)といって、初めて非課税となるのです。

    もちろん17歳から65歳までが一律に課役がかかったのではありませえん。老壮の区別はあり、正丁を1とすれば、老丁はその2分の1、中男は4分の1という割合でした。古代の権力者は人民の労働力における負担能力をよく知っていたとみえて、60歳までを一人前に扱い、61歳からは半人前としたのです。そして66歳以上になれば、ゼロ人前にしたのです。

    これは体力の点からいえば「合理的」でさえあります。現代の税制は所得を基準にしており、年齢による区別はありません。私が言いたいのは、古代の税制は肉体年齢を規準にしたもので、それなりに「合理性」をもっております。61歳に達すれば課役が「半額」となり、66歳になれば「全額免除」になる点です。これは労働能力を考慮したからでしょう。

    近頃の風潮として、60歳定年を65歳に引き上げる傾向がありますが、さらに70歳まで働け、と政府は吹聴します。これは一面では古代の税制上の年齢区分に逆行しています。もちろん職場によって定年引上げとは言いながら、「嘱託」とか「再雇用」と称して満額でないこともあって、60歳から65歳の壁は、やはり古代と同様の場合もあるようです。

    さてもっと高齢者となれば、古代はどうだったのでしょうか。80歳及び「篤疾」(とくしつ)という労働力がまったくない障碍者には「侍丁」(じてい)と称する介護者1人が充てられるのです。90才なら侍丁は2人、100歳なら侍丁は5人に増えます。古代は大家族制でしたから、侍丁となる人材はいくらでもいたと考えられます。若い者が高齢者の介護にあたとるのは当然といえば、そうなんでしょうが、この侍丁には免税措置が講じられ、庸と雑徭がからないのです。為政者側からいうと、庸と雑徭を免除してやる代わりに、高齢者や篤疾者を介護せよ、という理屈になります。

    「高齢者を家族で面倒をみよ」。現代もそうした趣旨の発言がしばしばみられます。古代もそういった発想だったようですが、介護に当たる成年男子には「力役の系列」と「物産の系列」の一部が免除になったのです。現代はどうでしょうか。高齢者介護に当たる家族に税制上の控除または免除といった特典はあるのでしょうか。寡聞にして知りません。「老老介護」なんて実にわびしいことばがあります。前期高齢者が後期高齢者の介護に当たる場面を想定しがちです。しかし、後期高齢者が後期高齢者の介護に当たる場面が、もうすぐきます。そのとき、古代の方がましやったと言いたくなりましょう。