私は京都市の下町にある浄土宗の小さな寺の住職です。長らく宗門の大学に勤めてましたが、このほど退職し、暇ができましたので、講習会などに参加し、坊主として遅ればせながら研修しております。「浄土宗総合学術大会」と称する学会に出かけ、「これからの浄土宗僧侶像を考える」というシンポジウムを拝聴しました。
あるパネラーが示した数値に興味を惹かれました。NHKクローズアップ現代で取り上げていたそうですが、「仏教に対して良いイメージを持っている人 90%」「寺に対して良いイメージを持っている人 25%」「僧侶に対して良いイメージを持っている人 10%」なのです。ほとんどの人が仏教に好感情を持つのに対して、寺や僧侶には悪感情を持っていることになります。コメンテイターとして登場した上田紀行氏は「お寺とか坊さんは、仏教やっていないではないかと思います」と発言したそうです。
また葬儀社の方に僧侶はどんなイメージで見られているかというアンケート調査したのによると、「僧侶に不信感をもっている 92%」「お経の上手・下手は気になります 88%」「今後の葬式に僧侶は必要と思います 82%」「高級車に乗ってくる僧侶を不快と思います 80%」「坊主丸もうけだと思います 80%」とあります。お経が下手な私は、身につまされる思いがします。
そのパネラーは、「仏教フアンの坊主嫌い」の見方が世間での評価だと指摘し、その理由に、葬式坊主、高額の布施、戒名料といったマイナス要因を挙げていました。こうした僧侶像が定着しているのは、その裏返しとして、僧侶は「清貧であれ」という声があるからだと思います。またパネラーは、YAHOO知恵袋「みなさまのイメージしているお坊さんとはどいものですか」のベストアンサーに、「多く坊さんは妻帯も肉食もしている」「カトリックに比べると禁欲的でない」というものがあると報告しています。
明治5年に僧侶に対して出された「肉食・妻帯・蓄髪・俗服着用勝手たるべし」という太政官布告にともなって、僧侶の世俗化が進み、生活の形態において一般の人との差がなくなりました。寺院もまた世襲されて、寺院・僧侶それ自体が「家職」と化したのです。
明治5年の太政官布告の真の目的は、僧侶にも俗人と同様に、兵役と課税の義務を課すための政府の政策でした。宗教者に対して兵役と税を課したのは、日本が富国強兵を急いだ近代における失策の一つだと思います。
明治国家の失策を今更どうこう言える時代と状況ではないとすれば、現代において僧侶に与えられているマイナスイメージをいかに払拭するかが課題だと思います。一旦できた固定観念を壊すのは容易ではありませんが、方法は簡単なのです。いわれなきマイナスイメージでなければ、まずそのイメージの逆を行くべきでしょう。キーワードは甚だ陳腐ですが、「清貧」の一言です。「禁欲」も良いのですが、極端に走るのはいかがとも……
フロアーから出た意見に、現在あらゆる分野の専門職において「倫理綱領」を設けているので、浄土宗僧侶倫理綱領を設けてはいかがかというのがありました。宗派として意見の集約が困難であれば、各寺院ごとに「○○寺倫理綱領」なるものを作ってみる、というのです。私も近いうちにわが寺の倫理綱領を作りたいと思います。
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