前回に続けて、『国文東方佛教叢書』の文芸部に収める小品より、面白いものを紹介しましょう。
「仏の顔も三度」に似たことばに「地蔵の面(つら)も三度」があります。
「愚人は夏のむし飛んで火に入るごとし」「長者の万灯より貧者の一灯」。ともに出典はお経にありますが、どうかすると私どもは「愚人は夏のむし」「長者の万灯より」を省いて使うことが多いようです。
同じくお経から一句。「初めは人酒を飲み、中頃は酒が酒を飲み、終わりには酒が人を飲む」。わたしのような愛飲家には耳が痛いことばです。
「菩提は水に清(す)める月、手に取るにとられず、煩悩は家の犬、うてど門(かど)を去らぬ」。何となく悟りの境地を示しているようですね。
川柳にも仏教的なものがあります。川柳とは俳句と同じく5・7・5の語で構成され、柄井(からい)川柳という人が創始した風刺句です。
ただたのめとは物入りを思召(おぼしめ)し これは浄土真宗の法談で、阿弥陀仏にただひたすらに頼めと強調するが、そのあとに物入り(出費)すなわち信者からの寄付をお考えのことだと皮肉っています。
叱っては又ぽくぽくと木魚うち これは木魚をうって念仏を唱えながら、その合間に子供などをを叱りつけ、また平然と木魚を打ち、念仏を唱えているさまを風刺しています。
あらそへどみんな比叡から出た宗旨 これは日蓮宗と浄土宗の宗論を皮肉っています。当時は日蓮宗と浄土宗の宗論がよく行われていました。「宗旨論耳と首とにじゅずをかけ」は、宗論でとっつかみ合いの喧嘩をして、手にかけるべきじゅずが耳や首にかけて口泡をとばしているさまが目に浮かぶようです。「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」が有名です。
尻へ手をあてて説法説きじまひ これには和歌でいう「本歌」(典拠)があるようで、前回紹介した「百日の説法屁一つ」を前提にしていると思います。ありがたい説法が終わって、高座を下りる際に、屁を出さないように、尻に手をあてて、そっと降りるさまが滑稽です。
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